Honeyaholic!

 俺は未だに、何でこんな女に惚れたのか自分自身のことながら理解に苦しんでいる。
 また皆さんと会うことになるとは思っていなかった……。どうも、某男子高校生だ。
 あれから2ヶ月以上が経った。何かしらの進展があった、と思う人挙手! はいそこの君、大間違いだ! 何も無いぞ!
 一応、学年でも1、2を争う長期政権ではあるものの、いわゆる進行度合は最下位と言っても過言ではない。友人達からは相変わらず憐れみの
目を向けられる毎日である。
 彼らは口をそろえて「何でまだ付き合ってられんの?」と言うが、ぶっちゃけ知ったこっちゃない。むしろこっちが訊きたいくらいだ。皆さ
んの周りに俺のような人物(男女問わず)がいるなら、決してそのように声を掛けてはいけない。引っ掻かれるぞ。

 さて、今は土曜日の朝。実は、土曜日に授業がある場合は一緒に学校に行く、という約束が成立しているのだ。こればかりは小さな進展と言って
もいいかもしれない。
 待ち合わせの時間は7:27。立川駅(偶然なことに、2人共通の最寄りであった)中央線上りホームの最後尾で待ち合わせて、同時刻発の快速
東京行きに乗車する、というプランであった。
 俺は遅れないように、と7:20から待ち合わせ場所にいた。現在時刻は7:50。
 ……お気づきだろうか。そう、すっぽかされたのだ。その証拠に、奴からは何の連絡もない。
 ホーム上から今にも崩れだしそうな空を見上げた。予報では何とか持ちこたえてくれる、という話だったが、いよいよ雲行きが怪しくなって
きた。
 まずいなぁ、と思っていると次の東京行きのアナウンスが聞こえた。時間的にもう待てない。大方、随分前に先頭の女性専用車に乗って行って
しまったのだろう。
 電車では『坂の上の雲・7』をひとり静かに読みたいので、しばらくお別れしよう。

 温い電車を体感した後だと、なおさら寒さが身にしみる。
 改札を出て辺りを見渡しても、微かに期待していた小さな姿は見当たらなかった。しかも最悪なことに――外は雪が降っている。それも結構な
勢いで。
 参ったなぁ、予報を信じて傘を持ってこなかったのに。まぁ、雪なら多少は大丈夫だろう。学校に着いたら払い落とせばいい話だ。
 しかし、実際に歩いていると想像以上に寒かった。早く学校に着きたい一心で早足になった。商店街を抜けると交差点にぶち当たる。信号が
変わるまでは先に進めない。
 はす向かいのコンビニが移転してしまうらしく、内装を取り去ったそのままの空間がこちらにポッカリと口を開けていた。俺は身震いをして、
変わったばかりの信号を渡った。
 すでに雪は激しさを増しており、東京ではなかなかお目にかかれない程に強くなっていた。 
 雪がスニーカーの中に入ってしまった。靴下が濡れてしまう。替えの靴下などは持ってきていないので、乾くまでは体温を取られっぱなしになる。
いっそ授業中は脱いで干しておいた方がいいかもしれない。
 なんてことを考えていると、車道の向こうには学年一の美男美女カップルがあろうことか相合い傘で歩いているのが目に入った。
 ダウンコートのポケットに手を突っ込んで、余計に早足になる。こういうときはとっとと退散してしまうに限る。まぁこんな惨めな場面なんて、
今の俺にはお似合いなんだろうけどな。
 やっとの思いで校門から昇降口までたどり着いた。雪を払うが、ズボンには浸みてしまったようだ。とにかくさっさと階段を昇って暖かい教室に
入ってしまおう。
 階段を最上階の4階まで駆け上がって、右後方の廊下に面した教室が俺のクラスだ。従って階段を昇りきったらヘアピンカーブが待ち受けている。
 廊下を駆けている人と階段を昇ってきた人との衝突が多発するポイントだが、案の定今日も衝突した。
 俺は眉間にしわを寄せた。なぜならそのぶつかってきた人というのが――奴だったからだ。
 奴はごめんなさい、と言った段階で俺の存在に気づいたようだ。小さく俺の名前を呼んだ。 
 俺は何の感情も込めずに、何だ、と言った。
 奴は怯えたようにすくんで俺を見上げた。
 それを無視して教室に入ろうとすると、奴はそれを止めた。俺は思い切り険のある表情で睨んでやる。第一印象は強面と評判なので、それなりに
怒りは表現できたと思う。
 奴は振り向いて自分の教室へと駆けていった。ざまぁみろ。
 教室に入ると、まず惨めな濡れ鼠スタイルを盛大にからかわれた。靴下を脱いで机の脇のフックに掛けて干すことにした。が、ズボンばかりは脱ぐ
わけにいかない。さてどうしたものか、と考え込んでいると、尖った声が俺の名を呼ばわった。
 振り向くと、奴の友人の気が強い女子――仮に鉄の女としよう――がいた。呼んだのは彼女らしい。
 「ちょっとこっち来なさいよ」
 とてつもなく嫌な予感がした。……シメられるかな?
 予感は半ば的中した。
 「あんたさぁ、傘忘れたイライラを彼女にぶつけて泣かすとか何様のつもりよ」
 廊下で鉄の女は俺をこき下ろした。しかし、今回ばかりは負けていられない。
 「何様もなにもあるか。泣くのは奴の勝手だろうが。それに俺はイライラをぶつけた覚えなんてない」
 「でもあの子」
 「そもそも、だ。今日こうやって惨めな格好で来ることになったのは奴のせいだぞ。確かに傘を忘れたのは俺のミスだ。だがなぁ、待ち合わせを
すっぽかされてなきゃもっと早くに着けたんだよ。したらこんなに強く降り出す前に着けたのにさ」
 とやかく言うのをぶった切ってまくしたてた。奴はいないし、遠慮もなかった。 
 「……そりゃ分かるけど」
 「何が分かるんだよ。どうせお前は奴の味方だろ」
 喧嘩腰に言う。立場は逆転した。
 「何があっても全部俺が悪いんだろ? あ?」
 「だってほとんどあんたが我慢すれば」
 「我慢? 俺は十分すぎるくらいしてると思うんだがな。普通に望んでもおかしくないことを我慢させ続けているのはどっちだ?」
 「それは……」
 「当たり前のことを我慢しろ、その上怒るな?」
 ふざけんのも大概にしとけよ。俺はそう吐き捨てて教室に入った。
 「…………」
 教室中から窺うような視線が刺さった。俺はふて腐れて自席に着き、『坂の上の雲・7』を改めて読み始めた。

 周りは俺たちが喧嘩していると見ると、案の定、俺の方に探りを入れてきた。
 「何があったんだよ。お前らが喧嘩しているとこっちが落ち着かない」
 そんなことは知らん、と言いたいところではあるが、心配していることには変わりがないので、「まぁ、なんでもないさ」と軽く受け流す。
 表面的には、それで平和に1日が過ぎていった。

放課後には止んでいるかと期待していた雪だったが、今も延々と降り続いている。テンションはガタ落ちである。
 傘ねぇし。どうすんだよ、これ。
 独り教室で呆然としていると、鉄の女が入ってきた。眉間にしわが寄っている。迫力は普段の5倍増しだ。
 「彼女、待ってるわよ。どうすんの?」
 ……は?
 俺は一気に怪訝な表情になった。それを見て鉄の女は――噴き出した。
 「……何がおかしいんだよ」
 若干ふて腐れつつ言うと、鉄の女は「ごめんごめん」と俺に詫びた。
 「あんたってさぁ、ホントにあの子のこと好きなんだね」
 あまりにも予想の範疇を超えていたので、適切な返し文句が思いつかなかった。この時点で鉄の女との舌戦には完敗である。
 「なっ……何で急にそんなこと」
 「図星かぁ。……別れたいわけじゃないよね?」
 急に真剣な口調で問われると、本音が出てしまうらしい。反射で「そんなわけあるかよ」と答えた。
 「そう。……良かったわね、入ってらっしゃい」
 鉄の女は微笑むと、入ってきたドアの方に向かってそんなことを言った。
 そう。舌戦どうこうの問題ではなく、最初から鉄の女には負けていたのだった。ドアからは奴が顔をのぞかせている。
 「あの……今日は」
 「もういい」
 奴が弁解しようとするのを俺は止めた。もう十分、奴にはお灸をすえられたはずだ。これ以上意地を張るのは、男としてみっともない。
 「傘、持ってるか」
 いつの間にか、鉄の女は教室からいなくなっていた。今回ばかりは、彼女に感謝しなければいけないだろう。
 「うん!」
 奴は満面の笑みで頷いた。

 ――病みつきというか、中毒か依存症だろ、これは。
 奴が昇降口で傘を広げるのを横で見て、俺はそんなことを思った。それに苦笑いしていると、「どうした?」と、奴がこちらを向いた。「何でもな
い」と答えて、俺は小さな傘の下、右半分を占有して雪の降るなかへと足を踏み出した。
Fin.

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